たとえば合コンと同窓会が同じ日に行われるとする。
どうもー、前夜祭のオープニングステージの目玉であったリトルレンズとコードレンズを
見逃し、悔やみ切れない思いでいっぱいのたて金です。そりゃモテんわな・・・。
んで、話の続き。恋愛の神様が微笑んでくれるかもしれない儀式「合コン」と、
懐かしい仲間に再会でき、思い出話にも花が咲く「同窓会」だったらどちらに行くか??
その局面に立たされた際にその人が置かれている状況、
どちらかにウェイトが傾きやすい心境、というように左右する要因は多々考えられるが、この場においては無視する。
そのような前提があるとして、人にはそれぞれ「絶対的な判断基準」があると思われるのだ。
僕の先輩は「カッコいいかカッコ悪いか」がそれだと豪語していた。だとすると、
「合コン」と「同窓会」、その人本人がホワット・ア・クールだと思うほうに参加するのだろう。
断言する。僕の絶対的な判断基準は「面白そうか面白くなさそうか」である。
なんて快楽主義者的な野郎だ!という意見もあるかもしれない。しかしこれが真実。
先ほどの話でいうと、面子、展開予想、場所などを総合的に判断して、
イッツ・ファニーだと思うほうに僕は参加するだろう。
ところで僕はかなり一貫性がない人間だと思うのだが(顕著な例がメールの文体。
語尾表現や一人称の書き方が自分でも呆れるほど一貫性がない)、
それもその時々のマイブーム、そしてそれに影響された「面白そうか面白くなさそうか」判断に
左右されているところが非常に大きいせいだと感じられてならない。
みなさんの絶対的な判断基準は、一体なんでしょう??
豚も「面白いか、面白くないか」で判断してるぜー。
「じゃあ、岩手に残ると面白くないと思ったから、千葉に行ったの?」
「それは断じて違います」
「オモシロイホウの次世代」ってキャッチコピーがあったけど、豚はそれにものすごく惹かれた。
「面白い」ってのが常に判断材料の上位にあったほうがいい生き方が出来そうな気がするしね。
自虐的見方をすれば、後輩の某KKも含めて、うちらは「人生の歩きやすい道」を選んでいるのに過ぎないのかも。
おっ!木更津キャッツアイで有名な県(回りくどっ!)よりカキコサンキュです。
そうでしたか、どことなく似た匂いを感じると思ったら、判断基準が被っていたとは・・・。
あっ、ちなみに僕たち(含KK)は「いじめるのが面白いから」
豚さんをイジっているわけではありません。
「いじめられることによって、面白いほどに豚さんが成長するから」
イジっているのです。えぇ、私、嘘はつけますん。
ps.本日の不来方祭にて、KK君の所属する“4doors”の見納めをしてきました。
他のどのバンドよりも盛り上がりを見せた、
貫禄のステージでしたよ(屋内でも屋外でも)♪