ブログについて気が付くこと。
ブログを通して、我々は我々自身の視点だけでなく、
他の人の内面からの視点を、
擬似的に、かもしれないが、
獲得してしまう。
例1)
昔我々は、基本的には知人を「外側」から
見ることだけしかできなかった。
でもブログにより、その人の内側からの風景も
おぼろげながら垣間見えるようになる。
そして内と外が重ねあわされる。
若干のタイムラグはあるが。
こういうことは、ブログ以前にもあり得たが、
その機会が爆発的に増え、身近になった。
例2)
複数の人が、同じ空間と時間を共有する場合。
そして、その場面がブログに描かれる場合。
その場面はとても立体的なリアリティをもって、
我々の前に立ち現れる。
こんなリアリティはかつてありなかったのではないか。
あえて言えば、映画での感情移入。
それより、マルチ1人称の小説がちょっと似ているかしら。
例3)
こうしたことが繰り返されてくると、
今度は、自分が存在していなかった場所でも
見えてくるような気がしてくる。
そしてあたかも、自分が多くの生を、生きているように思えてくる。
同時進行的かつ多層的世界のリアリティ。
これってやっぱりすごいことではないかしら。
非常に大げさに言えば、昔とは違う世界に住んでいる。
それにしても、いろんな人のブログを読んでいると、
個々人の見方、捉え方、感じ方が、圧倒的な
一貫性をもって侵入してくる。
これはきっと装うとおもっても装うことができない類のものなのだ。
だからこそ、我々はいろんな視点を獲得するように思うのかもしれない。
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なんのこっちゃ。
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恒例花見は来週木曜になったらしい。
下手すると、まだ池の桜は開花してないか。
今年は盛岡の桜が咲き誇るのを
あまり見ることができないかもしれないな。
またちょっとフライング。
(最終更新:4/23 深夜)