よく言われることだと思うけれど、
ひとつのことを考え続けるのにはとても忍耐力(あるいは体力)がいる。
卒論などで一つのテーマをやり続けることの
いや、そもそも学問の意義の一つも、
考え続けることの、(けっこうキツイ)体験にあると思う。
んで。
『国家の品格』についての評価はあいかわらずペンディングだけれど、
ひとつ心に残るのは、
日常的な出来事について論理的に考えることにはイミがないという主張。
前提が正しくない可能性もあるし、なにより論理の各ステップの
つながりが100%正しい(数学のように)はずがないということ。
だから論理の鎖が長くなるほど、論理展開の正しさは減衰する。
結局、直感や感情による結論を、正当化しているだけにすぎない。
か。
ドキリとした。
たしかにそういうことも多いかもしれない。
もちろん、私だって素人ではない。
あえて別の結論に至るような論理をたててみる、とか
場合によっては、最初の結論を捨てる、
ということは、心がけるし、実行もするけれど。
とくに年のせいか、思考体力の衰えを感じるようなとき、
この「正当化」の戒めはきつく響く。
「あーまたズルしようとしてる。」
そして、この戒めはへたをするとネガティブに働きかねない。
「論理的に考えたってむだなんじゃないか?」
っていう方向。(この本の危険な理由の一つ。)
この言葉、きっとこれからずっと引っかかっていくんだろうな。
どうつきあっていけばよいか。
いつか、なにも考えなくなるんだろうか。
(修正:23:05ころ)