たぶん多くの人にとって、日常の中で、
もっともつらいことの一つは、
「私を理解してくれる人が一人もいない」
という思いが継続する状況なのではないかと思う。
いろんな瞬間、わたしの知っている様々な人の、
いろいろな思いにどのくらい気がつけているのだろう?
そして、どのくらい気がつかないでいるのだろう?
ほんのすこし気づくだけでも
ちょっとは違うはずなのだけれど。
「おもいやり」とか「やさしさ」というような
抽象的な「性格」の問題にしてしまうと
うやむやになってしまうことがある。
観察力(ひろさとふかさ)、記憶力、推察力、想像力、気力
それらに経験がブレンドされる「能力」の問題。
それは伸ばすことが可能なはず。
昔より少々できるようになってきたなんて
思い上がっているんだけど、
たぶんまだ全然足りない。
実際そんなことばっかりだ。
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そして、なんかまたきれいごと的。
でも、こういうあれこれに対して、ウェブが
もたらした可能性はやっぱり大きいのだと思っている。
視点的にも時間的にも空間的にも。
(修正あり。5/15けっこう大幅に。)