自分でも噴飯してしまうようなタイトルをつけてみた。
でもこのテーマの内容は、いつか書こうと思っていたこと。
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18の頃、お通夜の晩に、いまはもういない兄と
お寺でゆっくり話す機会があった。
兄とは「大人」として、まじめに話すことも
当時はほとんどなかったし、
そもそも、あのときはあったのですら久しぶりだった。
兄は私より10歳上で、30まであと数年という時期。
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「今は、毎日がなんとなく楽しいだろ」
「うん」 (本当に私は毎日、むやみやたらと楽しかった)
「そういうのがだんだんなくなっていくんだよ」
「ふうん」
「その毎日がなんとなく楽しいという感覚、 それが青春なんだと思う」
「そんなもんかな」
というような会話。もちろん表現は違ったし、
もしかしたら、話の中身さえだいぶ脚色されているかもしれない。
なぜかそのやりとり、その風景はとても印象にのこった。
おそらく兄はそんなことを話したことすら
すぐに忘れてしまったのではないかと思うけれど。
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約10年後、私はこの兄の言葉を、心底実感した。
ああ、もう「青春」ではないのだ。
兄のいっていたことはこういうことだったのかと。
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でも最近思う。
あのとき兄のいっていたことは
ちょっとだけ正しく、だけど大きくはまちがっている。
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もちろん、今の自分は、10代のときのまっすぐさは見る影もないし、
村上春樹ではないけれど、失ってきたものははかりしれない。
その変化によりもたらされたものは甚大だ。
でも、「あの」日常の、日々の感覚を得ること、とりもどすことは、
年をとってもできる。
10代、あるいは20代の頃は比較的その状態を労せず手に入れ易いだけ。
年齢とともに、いろんなことが必要になるだけ。
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もちろん、そんな感覚を得られるありがたい状態が続くことはない。
ずーっとそうでない期間がづづくほうがむしろ普通なのかもしれない。
ただ、いつかはそれを抜けることはできるということ。
そしてそのときに、あの感覚を感じられる日々を持ちうるということ。
それを知っていれば&あきらめなければ。
これは本当のことだ。
(修正あり)