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November 08, 2004

幸せをありがとう

小学生だった夏のある日、早朝の東京を歩いていた時のこと。

突然、道の向こうから歩いてきた宗教家らしきお兄さんに「幸せですかー!!!!」
と大声で聞かれてビビったことがある。
親戚の人がおっぱらってくれて事なきを得たが、
今なら笑い飯が面白さをお互い競うがごとく、
「あぁ幸せだともこの野郎!!!!お前はどうだ!!?」と返答してそのついでに
ビビらせた仕返しで不条理に右ストレートを一発かます、
ことはできないが返答は間違いなくできそうだ。

僕は幸せを感じる閾値がものすごく低い。
何ともお幸せな男であると思われる。

じゃあ例を出してみよう。題して「私、たて金が幸せを感じる瞬間」。

ひとぉーつ!コーヒーをスプーンで何回かかき混ぜ、
限りなくカップの縁に近いところからミルクを注ぎ、
クルクルミラクルクルクル・・・とミルクがコーヒーに溶けていく様を見ているとき。
ちなみに、違いが分かる男を演出している気はまったくない(ホントかよ)。

ふたぁーつ!!バイトから帰ってきて夕飯、入浴を済ませてからの自由な時間、
誰にも拘束されないこの時間に、プリンとミルクティーを味わいつつお気に入りの本を読んでいるとき。
または「水曜どうでしょう」のビデオを見ているとき。
紛れもない幸せがその瞬間は僕に訪れている。
ちなみに、テレビの中では出演者が恐怖の深夜バス、「はかた号」に乗ってたりする。

・・・すみません。自分このぐらいで十分ほのぼのできるんです。
ん?お前が云々言っているのは「幸せ」じゃなく「ほのぼのしているとき」のことだろって??
そう。僕にとっての至福の瞬間は、「時間の流れがスローに感じられるとき」のことだとも
換言できるかもしれない。

言ってしまえば、「こんなことで」と人には思われるようなことが僕はうれしかったりするのだ。
だからと言って、「みんなも!ハッピィーになろうぜぇ〜!」なんて
忌野清志郎じゃないんだ、僕は人々に強要する気は毛頭ないしできない
(語弊がないように言いますが、忌野清志郎のことは心から尊敬しています)。

だけど、もっとその辺に転がってそうな幸せの種に目を向けてみてもいいんじゃないか、とは思う。
日頃よく見聞きするのは恨み、妬み、嫉み。嫌悪、不満、憎悪。
そういったネガティヴさばかり持っていると自分の心がかわいそうだ。

幸い今の季節、寒さは厳しさを増す一方だけれどその分空気が澄んで
夜空が普段の数倍キレイになっている。
その夜空をバックに、街灯に照らされた紅葉樹(造語)を見上げると心底幸せになる。

ハッピーなことは、案外すぐそばにあって、だけど今はそれに気付いていないだけじゃないのか。

日々ポジ野郎のひとりごと、ご拝聴どうもありがとうございました!

[ 学生 ]
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投稿者 たて金 : November 8, 2004 02:24 AM | トラックバック
コメント

うむ。幸せに気付かない事の方が恐ろしい。
「幸せな瞬間を平凡だとは思わない」

ヨシノです。
またとっておいたヤクルトを飲まれたとです。

Posted by: ヨシノ at November 9, 2004 03:40 AM

ロック研究会ではその存在がすでに「幻」とされているヨシノさん!
ご無沙汰しています。
「幻」とは「誰の記憶にも残っていない」という意味ではありませんから(笑)。

いなくなって改めてそのありがたみ(=幸せライク)に気付くこともありますな。

ヨシノさんがいなくなってからというもの、悲しい。。
遠くにご飯食べに行く際の足がなくなって(理由それかよ!)。。

「幸せな瞬間を平凡だとは思わない」とありますがそれに付け加えて、
「ろくでもない今日が、大切な思い出の昨日になる」(326の作品集より)

関連して、新しく投稿したのでそちらもどうぞー♪

Posted by: たて金 at November 9, 2004 04:42 AM
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