ふと思った。
もし「吾輩は猫である」の冒頭部の二文めに、「まだ」がなかったら、
この作品の評価は少し違ったものになったのではないか?
もちろん、作品の評価は冒頭部だけで決まるものではないから、
作品全体としての評価に決定的な違いはなかったかもしれない。
でも、もし「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」
ではなく、「吾輩は猫である。名前は無い。」であったとしたら、
印象は大きく異なってくるし、その印象の違いは、
この作品の愛され方にちょっと関係があるように思われる。
名前は「まだ」ないのだ。
そしてこの違いには、何か、宮崎アニメのいくつかのキャラクターに
通じるものを感じてしまう。たとえば、「千と千尋」の「オオトリサマ」に近いものを。
このニュアンスをさらにデフォルメし単純化すると、
昨今何かと流行するカワイイもの系に通じてくるのだろう。
(このプロセスでおちてしまったものもあるように思うが。)
このニュアンスとは?
ことばで表現しようとしてみたけれど、なんか
陳腐になってしまうのでやめておきます。
でも、もしかしたら、これは現代、
日本で理想とされているライフスタイルの一つと
関連しているものなのかもしれない。
いや、「吾輩は猫である」の書かれた時代を考えれば、それは
何も現代だけではなく、意外と昔からずっと続いてきたものなのか。
あ、そういれば、「これ」は、C3POやR2D2にもちょっとありますね。