わたし、小さい頃から、昆虫にはおそろしく興味を持ち、
また動物にもそこそこ興味をもったのですが、なぜか
植物にはほとんど惹かれることがなかった。
そのせいか、いろいろな木や草花などみても、
名前などさっぱりわからんものがいまだに多く、「あー、きれいだな」
くらいにしか感じない。もっとわかるときっと楽しいと思うのだけれど。
かなり情け無い。
それにしても、興味を持つ/持たないってどのように決まるのだろう。
成長のある段階で、何らかのきっかけがあったかどうかということなのかしら。
ほんのちょっとしたきっかけが将来を変えるかもしれない。
でも、きっかけがあっても見逃すことはある。
どういうきっかけを見逃し、どんなきっかけは逃さないか、
これは何が決定しているのだろう?
成長のある段階で、その種の決定のあり方をきめる
何らかのきっかけがあったかどうかということなのかしら。
これって、無限後退。きりがない。
最後は、生得的なところにいきつくのだろうか。
カオス的成長。
ただそんなわたしでも、沈丁花だけはとてもすきです。
見た目よりはあの香りがなんとも言えない。
非常におおげさに言えばたましいがゆさぶられます。
これは生得的な好み?
それともなんらかの記憶と関連づけれているから?
沈丁花
何度か立て替えられた実家の庭に いつでも植え替えられていた。
地味な色の小さな花。
その花を支えるには太すぎる枝と色濃い葉の色も
今ありありと思い浮かべる事が出来る。
毎年の事なのに 咲き始めるとしゃがんで くんくんしたっけ。
大学生になっても 子供を持つ年齢になっても。
母が好きだった沈丁花。
春が来て 突然亡くなった母。もう3年が経つ。
命日の頃 自転車を漕いで通勤する道で
通り過ぎてから沈丁花の香りが追いかけて来ると
どうしようもなく 泣きたくなるっけ。
わかるような気がします。
心乱される香り。
そして香りと記憶は結びつきやすい。