時々思う。
もし2年前、ブログを始めていなかったら、
いやブログがなかったら、今、
何がどう違っていただろうかと?
やっぱ、いろいろ違うような気がする。
10年後、このまま続けていたら、
何がどう違うだろうか。
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先月から今月にかけて、実に久しぶりに、
『フラニーとゾーイー』をゆっくり読んだ。
何年ぶりかな。
3回目か4回目で、私の愛読書の一つ。
最初に読んだのは大学4年生くらいだったかしら。
エゴとの格闘と受容のお話。
フラニーもゾーイーも、あいかわらずとても素敵だ。
それからいつもいうけれど、野崎さんの訳が
とんでもなくステキです。
久しぶりに読んで、やはり最後の数ページでは涙がでた。
けれども、それと同時に、むかしの感じ方とは
だいぶ違うようにも思った。
最初に読んだ頃、私はきっと私自身が
まるごと許してもらえたと感じたのだと思う。
2回目読んだときも。
これでもいいのだと。
いま、私には当時のような、とんがった、というか、
オレがオレが的な、というか、それでいて、
劣等感のかたまりみたいな、
そういう青臭さはたぶん抜けていて、
それは多分洗練でもあり、退化でもあり。
今、オレがオレが的なものは意図的に
作り出さないとでてこない。
けれど、それはたぶん必要なことなのです。
サリンジャーが、その後、どんなふうに
感じていたのか、とても知りたい。
きっと多くの人がそう思ってると思うけれど。
でも、もしかしたら、この作品書いたから、
サリンジャーはもう書くことがなくなっちゃたんじゃないかって
思ったりもする。
わたしには、その後の『大工・・・』や『ハプワース・・・』は響かなかったから。
でももう一度読んでみるべきなのかな。