24日。
朝方家にたどりつく。
ときどき目が覚めてはまた眠り、を繰り返し、
ちゃんと目覚めたのは夕方6時すぎ。
いろいろな夢をみた、ような気がする。
現実との境界がわかなくなるような。
軽く夕飯を食べて、また寝る。
んで、ちょっとおきてちびちび飲んでいたら、
おぉ、またもや眠くなり、夜は普通に寝ました。
なんてこった。
どれだけ眠れば気がすむんだ。
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いい天気の卒業式だった。
強烈な記憶がまた一つふえてしまった。
もう40時間か。
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いまの時点で何をかこう?
おくる言葉的な言葉は、
もう書けないような気がする。
こういうときに、言葉で伝えられることは
これまでだいたい書いちゃったし、言ってしまった。
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去年のこの時期、ここに書いた反省は
結局、全然いかされることなく、
そういう意味では忸怩たるところもあるけれど、
いまここで同じ内容の言葉を
もう一度繰り返すべきではない。
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うん。
一つだけ書こう。
人間の美しさについて。
あー、なんてくさいのだ、とも思う。
でもブログだから書いちゃう。
我々は年をとるにつれて、
いろいろなものを失い、
自分の知らないところ、いやなところを発見し、
そしてより複雑になる自分のことがわからなくなる。
不惑なんてうそだ。
いやこれは、単に私の個人的問題かもしれないけれど。
でも一方で、人のことはよく見えてきます。
少なくとも、そんな気がする。
これはきっとみんな、そうなはず。
ただし、年齢的には個人差があるかもしれないけれど。
積んできた経験と学びによって、何が見えるかは変わるから。
でもいずれにしろ、だんだんと見えるようになります。
イヤなところも、もちろん見える。
けれど一方で、
よいところ、かなわないと思うところ、純粋なところ、頼りなさ、
完全さ、がんばり、孤独、不安、弱さ、ゆれ、強さ、不完全さ、
つまりは人としての美しさが、おそらくは深く、
見えるようになる。
いやなところと美しさは区別できなくもなる。
人間の美しいところを見よ。
意見の違う人、感性が違う人、こわい人、
へんな人、いやみな人、あまりに利己的な人、
何を考えているか分からない人・・・
この世にはいろんな人がいるし、
実際いろいろなやりとりをしなければならないときに、
いやな経験することも多いけれど。
一歩うしろにさがって目に入る光景の
面積をふやせばよい。
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あらためてお礼を。
今年も、私は君たちの存在によって支えられていました。
いろんな意味で。
これは直接強く関わった人はもちろん、
実はあんまりそうではなかった人についても、本当のことです。
何かと不安定で、私の立場の仕事を
こなすことはギリギリだったのかもしれず、
あるいはギリギリさえ越えてしまっていたのかもしれず、
本来わたしが提供できなければならないこと、
充分ではなかったかもしれない。
いや、むしろあんまり無理に提供しようとしないほうが、
関わり過ぎないようにするほうが、
学問を伝授することとその内容と技を磨くことに専念するほうが、
この不完全さなら結果的にはよいのかもしれない、とも思ったり。
(結局、なんか反省文かいてるし。)
そんな中、逆に私が支えられている場面の方が多かったのですよ。
知らない人もいるかもしれませんけれどね。
いや、そんなことないか。
あえてここに書かなくたってバレバレですか。
本当にありがとう。
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完全に春の一日でしたね。
もう暗くなってきてしまった。
それじゃあ。
さようなら。
(修正時刻 22:24頃)
お世話になりました。
学問だけでなく、人間的にも成長できた4年だと思います。
盛岡に来れる機会は間違いなく減りますが
それでも時間を作って、フラッと寄りたいと思います。
それでは・・・さようなら。