昨日、緑いっぱいの日の夕方、
はしかの流行の影響でこちらにもどっていた
しがゆくんがふらっと。
まだ表情などには、それほど大きな変化はない。
当然か(笑)。
でもやっぱりたいへんそうですね。
がんばれ。
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当たり前のことだけれど、
ブログには書けることと書けない(あるいは書くべきでない)ことがある。
あえて書くこともあれば、あえて書かないこともある。
少なくとも書くにあたっては、
偽りや間違いを書いたり、あるいは極端に装うようなことは
出来る限りしたくないと思う。
だから、いつも「ウソはない?」と問い直す。
(とはいっても、ついつい飾ってしまうところは消しきれないけれど。
でもそれは我々が普段行っている行為(社会的行為)も
多かれ少なかれ同じこと。
と、いうところまでは以前考察した...よな確か。
違うところがあるとすれば、
ブログでは、「行為(表現)」を
公開するまでに時間をかけられるところ。
その意味ではブログのほうが、本来こうでありたい自分を表現しやすいのだと思う。
それを「装う」というのは、場合によってちょっと酷なこともある。)
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でも、もう一つ考えなければならないことがある。
書けないこと、そして書かないことの意味について。
書けないことの存在により、
私の文章の重心は、私そのものの重心(そんなものあるのか?)からは
ずれていくことになる。
多くの言葉を費やせば費やすほどに。
ビットの増加に伴う情報量の低下。
一方、先日ここに書いた『ウェブ社会の思想』に、
「マスメディアにおける報道」は
「「何を報じないか」によって、そのイデオロギー的な立場を主張する」
というくだりがあるが、これもまた正しい。
書かないこと、0ビットの情報量は実に大きい。
書けないことと書かないこと。
反対の効果を持つことがあるのだ。
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私は、
なにをすべきだろう。あるいはしないべきだろう。
なにができるだろう。
といったようなことを、また考えている。
ウソはない?
少なくともだけれど、うそはない。
書くべきかどうかという問題はあるが。
(修正あり)