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July 13, 2007

覚書

存在が消滅するということは
やはり理解できないことだ。

そして、いまの自分が、本当の時間の中で本当に存在している
ということも同じように理解できないことだ。

かりそめ?

改めて書くまでもないことだけれど。

記憶が積み重なる。

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今のこの作業にエネルギーを費やすこと。
それが、どのような帰結をもたらすのか、
その延長上にどこまで可能性が存在しているのか、
実際のところよく分からない。
よく分かるはずもない。
長期的な行く末など見る能力をもたないから。

でも昔から、殆どの人間はそういう風にしてきたのだと思う。
ごくごく一部の人だけが、本当の意味で賢く、
先をただしく見据えることができたのじゃないか。

多くの人のあがきの集積としての歴史。
きっとそんなものなのだろう。
今朝、ふとそうおもった。

だから、
できることをする、
というのはきっと悪いことではないに違いない。
(次の日見ると、「だから」という接続詞はへんだ。)

それは分担作業なのですよ。
蟻的。

ただし、モティベーションのあり方として、
自分のためだけにというのはダメだ。
自分を満足させるという要素はもちろん入り込むけれど、
それだけではダメだ。

という、覚書き。
まあ、そんな大げさなことでは
全然ないんだけれど。

----

なんてことを、書いてみたい日。


(修正7/13 12:00頃、後半消そうかとおもったけれど。)

[ 教員 ]
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投稿者 53 : July 13, 2007 02:03 AM
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