昔わたしはものすごくエゴが強く、
外見でかっこつけるなんてかっこわるいとおもっていた。
そんなことにエネルギーをついやす意味がわからなかった。
もっと人間性で勝負したいとおもっていた。
そのくせ、人の目を気にしまくっていた。
いまでも魅力的な人間性があればとは思う。
でも最近思うのは、
外見もそれなりでありたいということ。
かっこつけたいというのとは多分違う。
まわりの人にとって、不快感をあたえない、
できれば、見ていてすがすがしい気分を与える人になりたいと思う。
内面がいい人は、外見もたいてい悪くないのだ。
それでも自分の写真なんかをみると
がっかりしてしまう。
もうすこしなんとかなってるかとおもってるのに
ってことがよくある、というかたいていそんな気分。
こんなふうな人間として存在しているんだ。
でもまたしばらくするとそんなことは忘れてしまう。
まあ、しょうがないんだけど、ね。
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とかいて、なんとなくなっとくできない。
あえて書いているような気がしすぎている。
(修正あり)
「心持ち」という言葉が好きです。
「心の有りよう」だと
untitledの静物画のようで風雅な感じもするのですが
「心持ち」には 軽やかに自分を律していたり
自分の機嫌を自分で取って遊ばせてあげるゆとりがあるように
私には見えたりします。
そしてそんな人は 大体は視線が真っ直ぐで温かな印象です。
思うようにならない状態が続くと
時として 消せない炎が嫌な匂いを発して心の中で燻ります。
美しくない貌を 今しているんだろうなと断言出来る。
自覚ありありなのが それまた苦しいのですが。
心持ちが良く 佇まいの美しい人って 本当にいい。
美は善なりですね。
繊細な感受性が
言葉のすみずみからつたわってくる
コメント、ありがとうございます。
>心持ちが良く 佇まいの美しい人って 本当にいい。
>美は善なりですね。
そうなのです。
外見が気になるようになってきたのは、
それが外見だけにとどまらないような
気がするから・・・。
充分条件ではないけれども、
必要条件ではあるような気がするのです。