少し先にある、ちょっとした楽しみを探しながら、つくりながら、
そういうものを少しずつ継いでいくようにして生活している。
枝の長さはごく短いこともあり、ほんのちょっとだけ太いこともあり。
そしてときどき、過去の枝をながめ、架空の枝を想像する。
いつか何も見出せなくなるまで、
そういう、いわば細かい接木を私はしつづけていくのだろうか。
きっとその可能性は高いのだろう。
良いのか悪いのかはわからない。
賢いのか愚かなのかもわからない。
でもいま、ほかに何ができるというのだろう。
(修正あり)