よく飲んだときに話しているような気もするが、
大学生の研究室の先生で、のみにいくときには必ずいっしょにきてくれる先生(通
称「ハカセ」)がいた。
このハカセ、議論好きで、何かというとすぐに論戦になる。しかも、その明確な論旨、
的確な具体例の提示、緻密な論理組み立て、などなど、ちょっとやそっとではうち
まかすことができないわけで、その後、現在にいたるまで、研究室のうちあげで挑戦
し、学会で全国各地の居酒屋にいっては挑戦し、京都の旅館で同部屋になって
は挑戦し、・・・という感じ。
物理学、複雑系から、きわめてどうでもよい話題に多岐にわたる話をした。
その中には、記憶に残る論題がいくつかあるが、やはり現代日本歌謡、とくにアイ
ドル(芸能界)についての議論がもっとも回数も多く歴史も長い。
(もうやりつくした感があって、ここ数年はあまりしていない。そのうちまた再燃す
ると思うが。)
歌手やアイドルについてのハカセの評価の仕方には至極簡単な基準がある。
そのアイドルの作り手(プロデューサー)が、アイドルに託して発信する
メッセージに、オリジナリティがあるかどうか?
そのオリジナリティがどれほど優れたものであるのか?
ということ。
ハカセにいわれせば、10代、20代のある時期の少年・少女が、ある種の輝き
を放っているのは当然のことである。アイドルの評価は、その輝きなどによってなさ
れるべきはなく、あくまで製作側の創造性についてなされるべきであるということに
なる。
アイドルだけではなく、一般に歌謡曲、ジャパニーズポップにおいても、あくまで
その歌詩に注目する。その歌詞の中にどれほどの新しいメッセージがこめられて
いるのか?というわけである。
そして、こうした抽象論だけが述べられるわけではなく、個々具体的なアイドル、
歌手についての評価がなされていくのだ。
飲んで話しているとき、私はこれに相当な違和感を感じ続けたのだが、論理
として、これをうまく論駁できることがなかなかできなかった。今なら多少できるよ
うに思うのだが。
皆さんだったら、どのように反論しますか?
このような非正規の授業のおかげで、ずいぶん鍛えられたような気がする。