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October 20, 2004

気になっていること

最近、気になっていることがある。

あまりに気になりすぎて今日はバイトしている間、ずぅっと頭の中が其のことでいっぱいだった。

それは、今流行り(少し前か?)の「自分探し」という言葉に対する違和感だ。
僕はモラトリアムやら引きこもりの類が大っ嫌いである。
なんだか健康的ではないイメージが付随している上に、責任逃れしている感があるためだ。
生まれてきてから20回以上生まれた日を祝われている人が、
いつまでも社会という舞台に出ることができず、舞台袖でもたもたしている姿を見ていると
「この人は人生を楽しんでいるのかな?」などとさえ思う
(余計なお世話だと言われることは百も承知で言う)。

「自分探し」にも同じようなニュアンスを感じてしまうのだ。
たとえば、厳しい境地に自らを追い込み、自分の限界に挑戦することで本当の自分を
探そうとしている人(1を10にしようとしている人)に「自分探し」をあてることには何も違和感がない。
しかし、「ここにいるのは本当の自分ではない」、「自分は本当はもっとすごい存在だ」
などとのたまっている人々(0を1にしようとしている人)で、
「自分探し」を使っている人々は図々しきことこの上ないと思われてしまう。

「自分探し」なんて言うが、結局自分は己の中にしか存在していないのだ。
それを真摯に受け止め、着実に高みを目指していけるような人になりたいなぁ、
ここに「ある」自分から目を逸らして絵空事ばかり並べる人にはなりたくねぇなぁ、
カッコ悪いにもほどがある。そんなことを思った。なんだか、すっきりした。

[ 学生 ]
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投稿者 たて金 : October 20, 2004 01:08 AM | トラックバック
コメント

だから、”自分なくしの旅”が妙にカッコよく見えたり見えなかったりするわけなんですね。
ある意味、一度自分をなくすことで、見えなかった自分がより鮮明に迫ってくる気がします。

…具体的にどうするのかは分かりませんがw

Posted by: チャク at October 22, 2004 11:30 PM

“自分なくし”とは実に趣深い言葉ですね☆
って、前に僕が持っていた本をチラ見したことで
影響を与えてしまったのかもしれませんが(笑)

自分を取り巻く外界と自分は異なった存在なのではなく、
「一(いつ)」なのだと認識し自然と和する。
そして、「持つ」のではなく「ある」ものに磨きをかける。

“自分なくし”は「自我の消失」ではなく、
ひょっとしたら「エゴイズムの消失」を表すのかもしれませんね。

しかし理解したつもりであっても確かにどうするのやら。
とりあえず座禅組むべきですかな(笑)?

Posted by: たて金 at October 23, 2004 01:32 AM
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