先日、寮の後輩が主演するという演劇を観てきました。
・・・実に示唆に富んでいた!感動して涙腺がゆるんだ。表現力に乏しい僕は、
内容をザクッと紹介することとか苦手なので感想しか書けないのですが、
正直最初の方はいまいち舞台に没頭することができなくて(集中力がないだけかもしれない)
もどかしく思ってました。しかし物語の佳境の方ですね、「観客」と「舞台」を隔てる境界線が
消失し、完全に一つになれた。自分が観客であることを忘れるほどに没頭してしまった。
あの感覚はやはり演劇ならではの醍醐味だと思われます。
僕の部屋の真向かいに住んでいる後輩、普段見せないような表情、雰囲気出してたなぁ。
恥ずかしながらその後輩のラストの一言にやられてしまいました。やる時はやるじゃねーか!!
ところで僕の癖で、映画館や劇場を出た後はしばらく余韻に浸りっぱなしになるのです。
現実に戻るのに、間違いなく平均的な人より時間がかかります。
としえ、としえ、としえ・・・。←ラストの一言が頭の中でリフレイン
やや小雨ちらつく中、傘をさしながらぼんやりと自転車をこいでいたら
「自分も自分の舞台で主役はっているんだなぁ・・・」と当たり前のことに気付く。
またもや先生の言葉シリーズになってしまうが、「自分の人生の主役は自分自身だ」
と中学生の時の恩師が言っていた。部活の顧問の先生で自称「天才」、
アルゼンチンのスーパースターであるマラドーナを敬愛し、敬愛し過ぎたあまりかどうかは分からねど、
短足でずん胴と、体型的なそっくりさは申し分なかった先生だった。
考えた。人生の主役ってどういうことだ?他の人も一人一人主役なんだったら、
例えば自分が恋愛のキューピッド役になる、他の人のために何らかの犠牲者になり被害を被る、
分かりやすいところでは学芸会で「木」の役になるなど、
実に人生には「脇役」的にならざるを得ない時だってあるんじゃないか??
答えを導いた。脇役的に見えるかどうか、他の人をたててやるかどうかが問題なのではない。
いかに主体的に切り拓いて生きていけるか、自分の頭で考えて答えをひねり出せるか。
それが「主役」であることの証なのではないだろうか。
僕は正直パクり芸人的な節がある。「うまい人を見習おう」的な考えがある。
それを今更否定はできないししようとも思わないが、全てを誰かに習うのではなく、
主体性を持って生きていこうと思った。
多少飛躍するが、それは思いを寄せる女性に、想いを伝える際にも同じこと。
想うだけでは何も伝わらない。どんなキレイな使い回しの言葉じゃなくてもいいから、
自分の言葉で、不器用でもいいから想いを伝えるようにしたい。
そんなことを考えさせる機会を与えてくれた後輩に多謝。
どーも。
いつもながら考えさせられる文ですね。
「思いは言葉にしなきゃ伝わらない」
まさにその通り。
それではこれからA先生のゼミに行って、思いを言葉にしてきます!
・・・と思ったら、なんと今日は休講!
この思いをどこにぶつけたらいいのだー(笑)。
おおー、GB君元気にしていますかな?
先日は学祭お疲れ様でした。
2004不来方祭レポート〜GB編〜
早くアップされないかなと楽しみにしております。横浜マリノス(意味なし)。
ゼミが休講!確かに思いが行き場をなくしてしまいましたね(笑)
そんな時は日本海(太平洋はちょっと違う)に向かって叫びましょう。
時間がかかる?そんな時は時○館にでも行くのが一番!
またいつかM野君たちとカラオケ行きましょうね♪