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February 06, 2005

レゾンデートル

ときどきとても不安になる。

私のような人間が、人にものを教えることなどできるのだろうか?
教えていて良いのだろうか?

たぶんだめなのだ。

社会的価値として、私が存在することのプラス面とマイナス面、どちらが
大きいのだろう。プラス面がないとはおもっていないが、マイナス面もまた大きい。

いや、社会的価値だけでなく、トータルとして、
私の存在が他の人に与えている影響の正の側面と負の側面、
後者の方がまさっているのではないか。
単純にプラスマイナスが定義できるものでもないとも思うが。

本当にえらい人ってときどきいます。
比較することすらできない。
あの人がいることで、すべてが変わる、
楽しい・うれしい・助かる・ありがたい、ということ。


でも基本的にわたしは無責任なのだ。
だからといって自分で「やめなくてはいけない」というところまでは悩まない。いや悩めない。
だめだ、だめだといってるそばで、「それでも自分はけっこう大丈夫じゃないか」と
にんまり思っている自分がいる。
結局すべてはポーズなのだ。


やれやれ。

まずはできることをやるまで。

(一部後に編集しました)

[ 教員 ]
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投稿者 53 : February 6, 2005 12:17 AM | トラックバック
コメント

私は、53先生と出会えてとてもよかったです。
多分、webチームのみんなや、53先生の講義を受けた人たちも、きっと先生からいいものをいっぱいもらっていると思います。先生は岩大(人社)になくてはならない存在だと私は確信しております。

すごい人と比べれば、誰だって小さな存在です。でも、小さいなりに、その人なりの存在意義があります。負の側面が大きいとしても、その少ない正の側面に救われる人もきっといるでしょう。プラスの面がちょっとでもあって、それを自分で感じることができたなら、それはとても幸せなことだと思います。

色々と大変なこともあるかと思いますが、身体に気をつけてがんばってください!!時々このページも覗きに来ますので。

Posted by: めそ at February 6, 2005 10:12 PM

>私のような人間が
そんなそんな、何をおっしゃいますか53先生。
本当にどうしようもない先生であれば、
一緒に飲みに行くなんて学生はいないはず。
ソフトバレー大会をやりましょう!などと相談を
持ちかけたりもしないはず。

花見の時から随分とお世話になりました。
53先生がいてくださらなかったら、存在し得ない
思い出がたくさんあります。

どうしようもない人とは、
自分の行いを省みることもない人ではないでしょうか。
慢心しっぱなしで偉そうにしている人は、
「その先」に進むことを諦めている証拠だと僕は考えます。

おいしいものでも食べて、レッツポジティヴシンキンッ☆★

Posted by: たて金 at February 7, 2005 01:04 AM
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