ブログに表現しているものは
自分の一面、とくに、人に見せたい自分である、
というようなことは前に書いた(・・・と思う。)
しかし、もうすこし考えてみると
ブログに限らず、日常生活は基本的に
そのような表現の連続なのかもしれない。
誰か相手がいるときはもちろん、自分ひとりでいるときにでも
我々はある「役割」をになうんでしたね。
(社会学やってる人、あってます?)
そして、その役割にそって自分を表現する。
おそらく自分なりにその役割にふさわしいと思われる形で。
そこでは、つねにどこかが強調され、つねにどこかが抑制される。
デフォルメがおこなわれる。
そのデフォルメのされ方の強弱によって、
確立した自己、とか、断片化された自己、と呼ばれたりするのかしら。
では、次に日常生活でおこなわれる自己の表現と
ブログにおいて行われる表現とはなにが違うのか?
表面的、かつよくあるような解の候補はいくつか浮かんでくるけど。
そして、いがいとそれが正解なのかもしれないけれど。
それから、どこかの偉い人がきっともう答えをだしているのだろうけれど。
でももうすこしかんがえてみてもいいかもしれない。
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なんか中途半端だな。やっぱスランプだ。
やめましょね。
あすは新幹線をのりついで遠距離通勤だし。はやくねるぞ。
帰ってきたら夏休みももうあと数日。