昨日もそうだったが、と
きどき工学部など、他の学部、
あるいはまれに他の大学にいったりすることがある。
そんなとき、漂っている空気が
違うなあと感じることがよくある。
いったいこの違いはなんなのだろう?
騒音のレベル、光の入り方、
そこにいる人の歩いているスピードや表情、
・・・いろんなことがすこしずつ違うんだろうけれど、
そういう個々の成分に分解できない
その場ならではの「何か」があるような気がする。
肌が感じる摩擦感というかなんというか。
(あーでも、この文章、かいていて、何かのまねだ。)
ところが、
いつものこの建物にもどってくると、
そういう摩擦感のようなものはいっさいないわけで。
ここにいるけっこうな数の人たちには
きっとそんなことが共有されているのだ。
と思うと、
ちょっと不思議な気がする。
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そういえば、小学生の頃、よく友達の家に
あそびにいって、玄関にはいったときに、
「ああ、うちとは違うにおいがする」
って感じたもんです。
自分の家は無臭だと感じてるんだけれど、
きっとほかの人にとっては違うんですよね。
しばらく空いてしまった。
工学部まで空の封筒を配達にいっておいてくる。
あとで電話がかかってきて、
「なんもはいってないよ」ということで、またスタスタ。
こういうのを無駄足といいます。(笑)
こんなことではいけません。
昨晩からうってかわってローな一日。
特に何があったわけでもないのに。
あえていえば、すこし飲みすぎただけ。
今日一日、
あえて自分を落とすような時間の使い方を
してしまったような気もする。
さあ、なんとかしよう。
なんとかしよう。
なんか、昨日のエントリ、
やっぱはずかしい・・。
前から、あるいは何度か、ここを読んでいる人から見れば、
またか、的な感想かもしれんけど、
たとえば初めてみたのがあれだとぶっとぶわな(笑)
でも、まあ、消さないでおこうと思う。
自分でも噴飯してしまうようなタイトルをつけてみた。
でもこのテーマの内容は、いつか書こうと思っていたこと。
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18の頃、お通夜の晩に、いまはもういない兄と
お寺でゆっくり話す機会があった。
兄とは「大人」として、まじめに話すことも
当時はほとんどなかったし、
そもそも、あのときはあったのですら久しぶりだった。
兄は私より10歳上で、30まであと数年という時期。
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「今は、毎日がなんとなく楽しいだろ」
「うん」 (本当に私は毎日、むやみやたらと楽しかった)
「そういうのがだんだんなくなっていくんだよ」
「ふうん」
「その毎日がなんとなく楽しいという感覚、 それが青春なんだと思う」
「そんなもんかな」
というような会話。もちろん表現は違ったし、
もしかしたら、話の中身さえだいぶ脚色されているかもしれない。
なぜかそのやりとり、その風景はとても印象にのこった。
おそらく兄はそんなことを話したことすら
すぐに忘れてしまったのではないかと思うけれど。
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約10年後、私はこの兄の言葉を、心底実感した。
ああ、もう「青春」ではないのだ。
兄のいっていたことはこういうことだったのかと。
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でも最近思う。
あのとき兄のいっていたことは
ちょっとだけ正しく、だけど大きくはまちがっている。
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もちろん、今の自分は、10代のときのまっすぐさは見る影もないし、
村上春樹ではないけれど、失ってきたものははかりしれない。
その変化によりもたらされたものは甚大だ。
でも、「あの」日常の、日々の感覚を得ること、とりもどすことは、
年をとってもできる。
10代、あるいは20代の頃は比較的その状態を労せず手に入れ易いだけ。
年齢とともに、いろんなことが必要になるだけ。
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もちろん、そんな感覚を得られるありがたい状態が続くことはない。
ずーっとそうでない期間がづづくほうがむしろ普通なのかもしれない。
ただ、いつかはそれを抜けることはできるということ。
そしてそのときに、あの感覚を感じられる日々を持ちうるということ。
それを知っていれば&あきらめなければ。
これは本当のことだ。
(修正あり)
一昨日のモリオネットの「ハッピーオフ会」に続き、
昨日はこのブログにも過去何度か登場したOB、
O市のJ一くん&Rい君、そろって来盛。1年半ぶりくらい?
居酒屋とバーでしゃべり、のむ。
彼らが大学生だったころと変わらんといってくれる。
もうけっこう昔になりつつあるシーンがまた頭に浮かぶ。
わたしすこしいい気分でしゃべりすぎた?(笑)
最後のS々木屋のラーメンの味が妙に記憶に残る。
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そして夜はよくねて、あけて今日。
まずまずの一日。
いったいこの日常に、
さらに何を望めるというのだろう。
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さて、また5月後半。
まだしばらくはいい季節。
(修正あり)
たぶん多くの人にとって、日常の中で、
もっともつらいことの一つは、
「私を理解してくれる人が一人もいない」
という思いが継続する状況なのではないかと思う。
いろんな瞬間、わたしの知っている様々な人の、
いろいろな思いにどのくらい気がつけているのだろう?
そして、どのくらい気がつかないでいるのだろう?
ほんのすこし気づくだけでも
ちょっとは違うはずなのだけれど。
「おもいやり」とか「やさしさ」というような
抽象的な「性格」の問題にしてしまうと
うやむやになってしまうことがある。
観察力(ひろさとふかさ)、記憶力、推察力、想像力、気力
それらに経験がブレンドされる「能力」の問題。
それは伸ばすことが可能なはず。
昔より少々できるようになってきたなんて
思い上がっているんだけど、
たぶんまだ全然足りない。
実際そんなことばっかりだ。
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そして、なんかまたきれいごと的。
でも、こういうあれこれに対して、ウェブが
もたらした可能性はやっぱり大きいのだと思っている。
視点的にも時間的にも空間的にも。
(修正あり。5/15けっこう大幅に。)
今日の情報基礎、ひとつ誤ったことを
いってしまうことに気づく。
確認しなくちゃと思っていたことを忘れ、
まあ、ダイジョウブなはずという過信が原因。
また訂正しなくてはいけないわ・・・。
こういうミスは、特に私の性格上、
たぶん絶滅させることができないんだけど、
ここのところちょっと多いかもしれない。
へこむんです。これ。とくに続くと。
(修正あり)
昨日の金曜日、4年ゼミがキャンセルになったので
すこし気分的に余裕をもった。
生協で一心不乱に立ち読みしていたI田先生とでくわす。
ふとしたことから、そのまま現代物理学と哲学の
関係(対称性、普遍性、合理性・・・)について議論になる。
というか、レクチャーを受ける。
知ることは楽しい。考えることも楽しい。
それがdutyでさえなければ最高のことだ。
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体を動かす知と動かさない知。
あるいは創造的知と理解的知。
あるいは方法と知識。
あるいは将来志向の知と過去志向の知。
まだすっきり整理できないところがあるけれど、
どうもそのあたりの関係が気になっている。
わたしは、お仕事上、もうすこし後者を重視すべきかもしれない?ということ。
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今年もいわゆるGP(Good Practice)に応募することになり、
その締め切りが徐々に近づいてきた。
進行中の「イーハトーブ・ミニマム」で、
今年こそ宿願を果たそうということで。
あれ、かいちゃていいのかな。(笑)
この申請はけっこうたいへんな作業なんですよ。
でもせっかくやるのであれば、なんとか通したいと思う。
通ったら通ったで
そのあとがまたきっとえらいことになるけれど。
締め切り5月末。
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なんだかずいぶん堅い?エントリになっちゃった。
そもそも、最近の日常がそういう感じだということ?
みなさん、しつれいっ!
(修正有り)
授業の出来は、例年と同じようによかったり、わるかったり。
コン基礎や情報基礎は、ここ数年の模索の上、
ようやくすこし、あるべきスタイルが見えてきたような気もする。
コン基礎の通常授業なんかずいぶんかわったもんだ。
いまのところ、ちょい満足気味。
一方複雑系は、一時期より、パフォーマンスが
やや落ちているかもしれない。
卒論指導や演習指導のスタイルはどうなんだろう?
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なんてことを思いつつ、
「本当にいまの「これ」でいいのか?」という
ちょっと恐ろしげな問いがふらっとよぎる。
すこしずつ積み上げてきて、
一応の形をもってしまったものの
根底を揺さぶる問い。
あらゆる可能性が見渡せるわけではないから、
答えなどなかなかでない。
でも考えなくてはいけないこと。
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目の前にある授業を一つ一つこなしていくことに、
話す予定にしていることをキチンと話すことに
ついつい目を奪われてしまうけれど。
(それでもしゃべれないときが少なくないから、こまったものだ。)
扱うべき内容や、基本的なスタイル、指導方針、
そのものがどうなのか、あらためるべきところはないのか?
という視点はややもすると閉じ込めてしまいがちだ。
本当はこっちのほうが重要なのに。
できるだけ変えたくないという誘惑には
抵抗しなくてはいけない。
常に勝てるわけでないけどね。
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あー、つきつめて考えていくと、
きついな、これ。
いったい自分には何ができているのだろう?
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このエントリも、読む人の目を意識しての
一つの「構え」ではある。
それを抜け出すことはできないけれど、
でも頭に浮かんだことは事実であり、
それを書いて悪いことはない・・はず。
(修正あり)
明日からにそなえて、1号館の前に車を止めると、
その直後、すぐ横に車が止まる。
ふとみると、よく知っている顔が2つ。
ニヤニヤしている。
わたしが学生終わってここ勤め始めてすぐにであった人々。
卒業は11年前。最初に送り出した学年だ。
環境情報の1期生ということもあって、
よくあつまっているから、時々はあっているのだけれど、
今日は予想もしていなかったのでびっくり。
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そりゃこうなったら、せっかくなのでということで、
ドライブへいくことに。
あてもなく、とにかく動き出した。
おだやかな日差しとひんやりとした風の中、
まずは北のほうへ。
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彼らとは年が半まわりくらいはなれていないし、
授業なんかももってはいなかったから、
昨今の現役諸君とはまたちょっと違う関係性。
昨日、ほかに数名と盛岡で集まり、
きょう、それぞれA森とS台に夕方帰るらしい。
というところからはじまり、
たくさん話しながら結局道に迷いつつ、小岩井へ。
ソフトをたべつつ、実に鮮やかな緑と、実に牧場的な雰囲気と、
そしてあまりにも完璧なゴールデンウィーク的空気を楽しむことができた。
すっかり満足して、大学まで帰ってきてもらい、上機嫌で別れる。
短い時間だったけれど、GW最終日、うれしい誤算だった。
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その彼らから始まり、その後、
12期にもわたって見送ることになっております。
なんというか、ちょっと歴史的感覚。
(修正あり)
昨日、およそ一年ぶりにakotaさんに会う。
まずまず元気そうで、よかった。
けっこうゆっくりいろんな話ができて、よかった。
やっぱり成長してるわ。
いろいろな話の中で、随所にそれが感じられました。
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きょうはうってかわって、仕事不調でいかん一日。
でも暗くなり始めて、やっとすこし調子がでてきた。
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しばらく書いていなかったので、ご報告を。
もりおか地域SNSには、
その後、「モリオネット」という愛称がつきました。
日報にもとりあげられたことで、ユーザ増加にもすこし弾みがついたようです。
現在はマスコット募集中で、
6月くらいからはチラシをつかった丁寧なPRを計画中。
関わり始めてから、かれこれ半年以上になる。
けっこうたいへんなこともあったけれど、
盛岡の街の人を中心ににたくさんのすてきな知り合いが増えました。
それだけでも、私にとってたいへんなことだと思う。
はてさて、このあと、どこまでいくんだろう?
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5/1 22:48現在。
ユーザ数:491名。
24(48)時間以内のログインユーザ数。 134(177)名。
ブログ総数:3850件。
(修正あり)