前期も半分終了だ。
授業・ゼミともに4月〜5月前半まではかなり好調。
でも、ここのところ、どうも今ひとつね。
たぶん、ここ数年の蓄積というか、
模索してきたノウハウを守り過ぎているのかもしれない。
環境の変化にあわせて、うまく調節しなければならない。
微妙な変化ですませる部分と、大胆に考え直さなければ
いけない部分。
そういう発想から、無意識のうちに逃げているかもしれない。
ここまでの打率.265.くらいかな。いや前半の分があるから
もうすこし.272。
いやいや、やっぱ.269
そういう意味で、やはりイチローはすごい。
やはり朝おきたときに、体中の重みを内面からズシッと
感じるような、この疲労をどっかでおもいきりとらなくちゃ。
疲労は心の敵です。
とかいたりすることで、すこし休んでいるのです。
(最終修正 5/31 23:49頃)
5月は、書評のようなエントリが多かくなりましたが、もう一つだけ。
ずっと積読していた『「脳」整理法』 by 茂木氏。
(なんと「つんどく」ってかな漢字変換できるのか!)
いつもながら、考えながら書いたのだろうけれど。
なんか、もうすこし、それこそ「整理」できないものか。
内容は、
・「生活知」と「世界知」が乖離している現状。
・偶有性とはどのような概念か。
・人間は偶有性を欲している。また、遇有性にかこまれてこそ輝ける。
・世の中の変化の速さも自分の変化のすさまじさくらべればさほどではない。
→だから恐れる必要はない。
・世界知と生活知ををむすびつける現象としての「セレンディピティ」。
・自然科学的「ディタッチメント」の態度を生活の場面でもいかすべきだ。
・絶対的だと思われるような概念(とくに自然言語で表現された概念)も
実は偶有的なものであることを常に忘れるな。
・不確実な世界。でも、とにかくチャレンジしてみることが重要。
成功体験が脳を強くする。
などなど。
全体としてほんとうに何を書きたかったのか、
いまいちはっきり伝わらない。
私の頭がわるいのかもしれないけど。
議論のプロセスはともかく、読者に勧めていることは
ほとんど常識的なことだし。
そして、世界知・生活知の特徴・役割についても
途中で入れ替わったりするようで、わかりにくい。
もっとまじめに読み込めば違うのかもしれないが、
あまりその気はおきません。すみません。
・・・
すっきりしない。
なんか、1週間したら、ほとんど頭の中から記憶が抜けてしまいそう。
というわけで、メモ代わりもかねて書いておくことにしました。
そうそう、タイトルも気になる。きっと『「超」整理法』の音を
もじったのだろうけれどね。うーん。
(最終修正 5/29 23:21ころ)
朝方、というか、深夜。
ふと目が覚めたときに、
ホトトギスが鳴くのをきいた。
だんだん遠ざかっていった。
昼。
そばをたべた。しいたけ入り。
おいしいそばであった。
その後、林の中で、へびをみた。
しなやかな動きだ。
けっこう感動的だ。
あいかわらず緑が美。
どこもかしこも緑。
しかし、同じ緑でも、実に様々。
----------------------------
また、ここに書くことがすこし難しく感じられるような。
200エントリもいつのまにか過ぎて、ねた切れ?
でもmixiだけにするのもなあ。
もうすぐ6月だ。
設置から1ヶ月。
沈黙をまもり続けていたがんちゃんブックス。
ここにきて、ついに投稿があいついできました。
1週間で10数通。
常連さんが3人くらいついたのが大きいですね。
このまま軌道にのればいい。
投稿する喜びがもうひとひねりあると、
システムとしてもっとイケルのかもしれない。
-----------
コン基礎中間報告。
トラブル連発でしたが・・・。
5チームでけっこう機材やコンピュータのやりくりなど
大変だけれど、今後のみなさんのがんばり次第では、
とても面白いものもできるかもしれない、
と思せてくれました。
あと3週間の展開に期待。
-----------
今は、今日は、いいことしか書かかないことにしよう。
-----------
姫神がきれいだと思う。
(最終修正 5/24 23:41頃)
昼から大学。
いい天気だ。
ふと思いつき、病院ちかくの○わやまでお散歩。
キャンパス内のいつものコースをたどる。
鳥が鳴く。
蝶が舞う。
いろんな花や木がいろあざやかに競い合っている。
あしもとをふとみると、
ミミズが懸命にはって横断しようとしている。
池では子どもたちがたくさん。
なにかをつかまえようとしている。
アメンボ?おたまじゃくし?
本屋でしばし立ち読み。
その気になれば何時間でもすごせそうだ。
帰りもほぼ同じルートで。
5時に近づき、すこし光のあたる角度が
かわった。
この緑色は、写真にはおさめられない。
記憶にのこるぐらい美しい一日でした。
ちょっときれい過ぎた。
「計算不可能な数」というものが存在する。
いかなるアルゴリズム、あるいは機械的手続きに
よっても、作り出すことのできない数のことだ。
たとえば円周率や3の平方根などは、
無限小数なので、いつまでたっても計算はおわらないけれども、
それでも小数点以下の桁(すなわち数列)をつぎつぎと
計算していくアルゴリズムは存在する。
もちろんプログラムだってつくれちゃう。
でも、そんなことができない数も存在するのだ。
この計算不可能性とも関連して、、かのチューリングは、
コンピュータには答えがだせない問題があることを証明した。
久しぶりに『皇帝の新しい心』(ペンローズ)を読み、
そんなことを復習しつつ、われわれとコンピュータの違いに
ついて思いをめぐらせていた。
ふと。頭に浮かんだこと。
人間乱数-----人間の作る乱数列-----
には、決して作り出せない数列というものは存在するのか。
例えば、私には、決して「言う」ことができない数が存在するのか?
ずっと数を言い続けていって、245359049020349040番目で
「4」ということがどうしてもできなかった、とか。
証明することはできないだろうが、
直感的には、そんなものは存在しないのではないか、と思われる。
われわれはやっぱり計算機より偉いのだ。たぶん。
(アップロード直後に修正)
思いをめぐらせてみた。
いましたいこと。
あ〜映画みたい。
たくさん眠った上で、眠くならないようにして、
10時間くらいぶっつづけで映画が見たいぞ。
SFか冒険もの。ロマンス系でもよい。
オニオングラタンスープがたべたい。
ちょっとシックなお店で、こくがしっかりあって、
チーズの量がたっぷりで、器がさわれない
ぐらいあついのがいい。
旗の台にあった実家の近くの
ラーメン屋でこのくらいの時間によく食べてたラーメンがたべたい。
縮れ面でスープがとてもおいしいのだ。
しょっちゅう食べてたけど、もう何年も食していない。
まだ店あるよな。
高校生のときに数日間だけもどりたい。
どんな気持ちですごしていたかをいまと
比べてみたい。
啄木さんと飲みながら語り合ってみたい。
なかよくなれるだろうか。
なれるような気もするし、とても軽蔑される気もする。
ほかにもいろいろ思いつくけれど、
このくらいにしておくか。
(最終修正5/17 1:10頃)
先日の『ウェブ進化論』により、新書モードに
いざなわれて、やはり話題の『国家の品格』。
ベストセラーずきか?わたし。
藤原正彦さんの本は、
かなり前に『若き数学者のアメリカ』を
読んだ覚えがある。楽しい本であった。
さて、『国家の品格』。
強烈な歯切れのよさで、
これまで常識だ、当たり前だと思わされていることが、
暴論だ、眉唾だ、とバサっときっておとされる。
なるほどと思わされるところも多いし
共感できるところも多い。
しかし、読み終わって直後の今の私には、
この本をどう評価していいか、まだちょっとわからない。
批判することはできるだろうけれど、
でもそうした批判はこの本の内包する思想の前には
無力化してしまうであろう。
なにせ論理の前に、情緒と形(武士道)なのだ。
それでも、その思想をそのまま
受け入れるには、直感的な危うさをも感じる。
200万部だそうだ。
日本人は、この本をどのように受け取っているのか。
この売れ方自体も、品格のなさとちょっと関係していない?
(そういうわたしも買っている。)
(最終修正 5/14 23:50頃)
今日、インタビュー、それもあまりカジュアルでない
インタビューをうけるという経験。
「よくわかりませんでした」ときいていた
カメラマンの人にいわれ、ちょっとへこむ。
けっこう難しいものんだ。
この内容、原稿の形に起こしてもらって、校正をへて、
学部WEBにアップロードされる予定。
わたしのあの部屋の中でうつってる写真とともに・・・。
(そうじしときゃよかった。)
どんな写真かたいへん気がかり。
ネガティブPRにならなければよいが。
みなさん、ひまなときにでものぞいてみてください。
(公開はしばらく先だけれど。)
そのあと今日は立て続けにいろいろ。
ゼミ。授業。会議。試験作り。一月ぶりに88。
---------------------------------
さいきん、一瞬一瞬のリアリティはとてもはっきりしている
のだけれど、生活全体はどこか胡蝶の夢的。
それも四重くらいの世界をいったりきたりしている。
ハッと目覚めたとき、わたしはどこにいるのか。
どこにいたいのか。
(最終修正 5/11 23:30頃)
梅田さんという人の『ウェブ進化論』、
遅まきながら読んでいます。
評判どおり、実に興味深い。
悪化した風邪からくる熱と背中の痛みと
あすからの忙しさへの不安と
諸々の問題への懸念
を押して読み続けてしまうほどに面白い。
WEBの世界で日々進行している
ちょっと見えにくいけれども、
本質的かもしれない変化の芽(あるいは幹)を鮮やかに
描いてくれています。
自分の遅れが気になる。
とともに、随所にうれしくなる記述。
大きな可能性が目の前にはかくもあるのだ。
新書といっても、ぜんぜんダメなものもあるし、
面白くても、最後にちょっと物足りない感が残る
ことが多いものだけれど。
この本。
まだ読んでない人には、ぜひ一読をお勧めします。
情報系に興味を持っている人、仕事にしている人はなおのこと。
(最終修正 5/8 昼頃)
いったん帰ってきました。
風邪引いたか。
おととしのいまごろは、熱にやられていました。
GW中で病院あいてなくて
原因も分からずたいへんでした。
いろんな人に迷惑もかけました。
その気になるとけっこう
いろんなことが思い出されてくる。
病院の窓から見下ろした風景とか、
売店の様子とか、トイレへの果てしない道のりとか、
時間かけて読んだ漫画とか、
ごはんとか、TVでバレーボールやってたこととか、
酸素マスクですべて解決するのだと
朦朧とした意識の中でおもったこととか。
1週間入院後、土曜日に退院し、
月曜には大学にでたのだけれど、
実はその日の朝も、たぶんまだ結構熱があって、
ちょっとやばい感じでした。
授業の準備のコピーしようとしても
コピー機がいうことときかなくて
イライラし。
・・・ひどい授業でしたね。
うけてたひとごめんなさい。
でも不思議なことに、そんな風に普通の生活をはじめると
確か午後にはすっと熱は引いてた。
いまとなってはまあこうやって思い出す
ねたにもなるけれど。
それにしても、元気なときには
なんで入院ってしてみたいんだろう。
みなさんはそんなことありません?
(最終更新 5/4 昼)